「プログラム」という概念を理解させるのは難しい

近頃「バグ放置は犯罪か」という話題で持ち切りで、いかに公務員が馬鹿で無能かっていう話で持ち切りだ。けれど、意外にプログラム、という概念を理解させるのは難しいのではないのか、と僕は思う。
近頃母がコンピュータを覚え始め、僕がメッセンジャーにログインすると「おはよう今起きたのですか?」と話しかけてくるので精神衛生上よろしくない日が続いているが、そんな母に理解させるのが一番苦労したのが、「プログラム」という概念を教えることだった。
「あんたは大学でプログラムってのを作ってたりするんだよね」「そうだよ」「このパソコンもプログラムが動くってこと?」
さて、こんな話になったとき、どんな風に説明すれば良いのだろう?

ハードウェアとプログラム

そんな母も決して機械に弱い訳ではない。いわゆるメカニカルな機械には強い方だ。そんな母にどのように「プログラム」というものを理解させればいいのか、と少し悩んだ。というのも、直感的ではないからだ。
カニカルな機械だったら、電気が通じてモータが唸ってギアが噛み合って動いたりする。けれど、プログラマブルな機械はどうなっている?実ハードウェアの制御、リソース管理を行うOSというものが動いている。これもプログラム。その上で、ワードやエクセルなどといったソフトェアが動く。これもプログラム。余りに抽象的な概念かつ階層化されていて、複雑だ。

一体どれくらいの人が理解してるのだろうか

さて、前置きが長くなってしまったけれど、一体どれくらいの人がプログラムっていうのを直感的にであれ、理解できているのだろうか。
車だってプログラムで動いている、テレビだってプログラムで動いている。まあそうだろう。だけれどプログラムという概念は、一般の生活ではおおよそ使わない概念で、携帯電話やテレビを使っている程度では理解できないだろう。なぜならば、そういうデバイスは、プログラムの存在を意識させないように作られているからだ。パソコンという、未発達のデバイスを使わない限り、その存在を意識することが無い。

「プログラム」という概念を理解する機会

結局、母にプログラムという概念を理解させる方法としては、壊してもいいから適当に何でも弄ってしまえ、ということだった。結果、Windowsアップデートやその他ソフトウェアのインストールやアップデートを行ったりする中で、何となく理解してくれたようだ。
しかし、今世の中でパソコンを日常的に使っている人はどれだけ居るだろう?法律を作るような、まさに僕の母の世代で、パソコンを弄る人は少ないだろう。必要に迫られて使うだろうって?若者でも、携帯でメールもインターネットも済ませてしまっている時代なのに?

最後に

やはり僕は、「プログラム」というものを理解は難しいと思う。朧げながらでもそれを理解できている人は、その機会に恵まれたラッキーな人だろう。
物事に対する正しい理解無しに、その物事に関係する決まりごとを決めるのは、難しい。そして、「プログラムを理解できていない人」が圧倒的多数のこの現状では、このような問題が発生してしまうのは少しも不思議ではない。
だから、役人を馬鹿にするんじゃなくて、正しい理解を得られるような活動が何かを、考えるのが今やることじゃないだろうか、と僕は思う。